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2023年01月2日
明けましておめでとうございます!
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
みなさまの元に、大事なところのスペルを間違えた私たちからの年賀状は届いたでしょうか?笑
来てないよーという方は是非是非スタジオにて教えてくださいね!
今年は年が明けてからのご挨拶ブログとなってしまいました。
ブログなので更新日は自在に調整できるのですが、
ヨガの教えに基づいて、あるがままに正直に、書き上げられた日時にて掲載いたします。笑
今年は卯年。
ウサギというと個人的には、幼い頃に祖母がお布団の中で聴かせてくれた「因幡の白兎」のお話が、強く印象に残っています。
青い海を白いウサギがぴょんぴょん渡っていく姿が軽快で美しいだろうなぁと思っていたのと、
その後の顛末が子供ながらに想像すると痛かったこと。
嘘つきや意地悪は、痛みを生むということを学んだ記憶。
(だからこのブログも正直に1/2の掲載ですっ!)
ですがこれは古事記のお話です。
ヨガのふるさとインドには、どんなウサギのお話があるのでしょうか。
ヨガでウサギといえば、年賀状にもたくま先生のイラストにてあしらわせていただきました、
背中を丸めて頭を床につけるポーズ、シャシャンカアーサナがあります。
インドということで言うと「月のウサギ伝説」の元となったと言われている『ジャータカ神話』などがあります。
ちなみにシャシャンカ(shashanka)は、サンスクリット語で “ウサギ” の意味で間違いありませんが、
“月” の別称の意味もあるそうです。
とっても密接な月とウサギ。
その由来が仏教の説話集『ジャータカ神話』にあるのです。
ジャータカ神話は、前世の物語です。
仏陀(お釈迦さま)の前世をいろんな説話で語ります。
ひとつひとつの物語に教訓があり、輪廻を重ねて業を解消していった様子を追うことができます。
この説話集が世界に広がり、イソップ物語やグリム童話、アラビアンナイト、日本の今昔物語集など、洋の東西を問わず様々な伝承の元にもなっているそうです。
さて、そこで語られている「月の兎」の物語。
毎年恒例、干支にちなんだ神話や説話に、何を思うか。
今年はこのお話を取り上げてみたいと思います。
概略としては下記のようなお話です。
仏の道を志し、修行に励む、サル・キツネ・ウサギ。
その様子を見ていた帝釈天は、3匹の覚悟はいかがなものかと、やつれた老人の姿になって3匹の元を訪れます。
善行をしようと常々語っていた3匹は、もちろんこの老人のお世話をすることに。
果物をとってくることができるサル、魚を捕まえてくることができるキツネ。
ウサギは・・・人が食べるようなものは、何も持ってくることができません。
そこでウサギは思いつくのです。
自分自身を捧げれば良いだけではないかと。
そして、森へ行っていいものを取ってくるから、火を焚いて待っていてねと老人に告げました。
火の用意が整ったことを確認すると、ついにウサギはその炎の中に身を投じます。
私の身体を食べて、元気になってください。そんな願いと共に。
その様子を見た老人は、元の帝釈天の姿に戻り、
世界中にこのウサギの行動を伝えるべく、姿を月の中に移したのでした。
月の面に見える雲のような模様は、ウサギが焼かれた時の煙が天に届いた時のもの。
月にいるのは、この捨て身の献身を見せたウサギのことなのです。
この物語は、ウサギの布施の話として知られます。
このウサギは仏陀となる前の釈迦の前世の姿です。
帝釈天の起こした火は何故だか涼しいもので、ウサギが焼かれることはなかったという結末もあります。
悲しくも美しいお話ではありますが、天邪鬼な私としては、
仲良く暮らしていたサルやキツネのことを思うと、ウサギが自分達に相談もせず、炎に身を投じたことが悲しかっただろうなと、
捨て身であることが、必ずしも美しいとは限らないでしょうにと言いたくもなります。笑
自分の能力を活かして老人に捧げるために食べ物を持ってこれたサルやキツネも、十分すぎるほどに賢く献身的ですよねぇ。
ウサギだけじゃなくって、彼らだって月に昇ってもいいじゃないか・・・ってね。笑
なので、捨て身の献身って素敵ねって受け取るところで終わりにせず、
せっかくなのでもうひとつ奥に行ってみることにします。笑
私たちは誰だって、いい人でありたいと思うし、大切な誰かのために、何かをしてあげたいと思うものです。
それを前提として、サルやキツネと、ウサギが違ったのは、
捧げるものを、“自分の外に求めたか、内に見つけたか” の部分だと思いました。
ウサギはそうせざるを得なかっただけなのかもしれませんが、サルやキツネも同じ選択ができたとも言えるわけです。
ウサギは、何もできない自分を受け入れた時、自分の外に答えはないことに気づきます。
そして、何もできないからこそ、その自分自身こそが捧げ物になれるのだと気づきました。
ウサギが捧げたかったのは「元気になってもらいたい」という心からの願いで、
その心を宿す自分自身こそが最大の捧げ物だったということです。
これをヨガ的な言葉で表現するなら、“サントーシャ” という言葉が当てはまると思います。
“足るを知る” という意味の言葉です。
あれやこれやと外に答えを求めるのではなく、よくよく自分を見直せば、
すでに持ち合わせていることに気づけるよ、という教えです。
そう考えると、ウサギのポーズ、シャシャンカアーサナが、
自分の中を覗き込むような丸くなるポーズであることにもなんだか繋がる気がしませんか?
いつも上にある頭を地につけ、世界を逆さまに見直してみよと、月の兎が教えてくれているようです!
(素晴らしいこじつけですね!笑)
新しい年、ウサギの年に思うこと。
私たちはいつだって、自分の中に幸福の種を持っています。
その存在に気づき、内側を耕し、育むことができるのもまた、自分しかいません。
今年もたくさんヨガをして、自分自身を磨いていきたいと思います。
そして誰もが、自分だけの答えを持って日々を生きているということも、また忘れてはいけないこと。
その答え同士が響き合えば、心地よく共に過ごすことができるし、
共鳴しないのであればそれぞれの道を歩めばいい。
ただそれだけのことなんですよね。
ありのままの自分であることを、喜んでくれる人が誰にも必ずいます。
捨て身に尽くしたりしなくても、ここに存在している自分自身が、すでに誰かにとってのギフトです。
ヨガをするたび、月を見上げるたび。
そんなことを思いつつ、今年も日々をカラフルに生きていたいなと思います。
いつも一緒に呼吸を重ねてくださる、笑顔を下さる皆様に感謝して。
2023年も、どうぞよろしくお願いします!
2023.1.2
バンデミエール
(writer : ゆか)
今そこにある 尊いあなたの 幸せと成長を
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